ゲラウト!

困難に立ち向かい、ただひたすらに遊べ!

気付いたら僕、36歳になってましてん。

気付いたら僕、36歳になってましてん。

36歳とか、高校時代の担任と同い年なんだ。
先日、卒業校を訪問して気付いた。

「なんだよお前36かよ。なんだか落ち着いちゃてさー、気取っちゃって、ヤなかんじすねー。」

当時となにひとつ変わらぬ学び舎で、高校生の自分からそんなことを言われてる気がした。

なぜ、こんなことを思うようになったのかというと、
こりゃひとつ人生を考え直せねばと、そんなキッカケが昨年あったからだ。






「思考停止」





ふと頭に現れたフレーズ。

休日子供と戯れ、子供が眠る準備をする21時。
ようやく自分の時間ができて自己学習という時に、子供に誘われて寝床に入ってしまう。
そして、そのまま起き上がれなくなってしまう。
今の自分の課題は山積みなのに、時間は有限なのに。
いかん、いかん、としながらも。






「思考停止」





そういや僕、会社の外に一歩出ると、最後のひと踏ん張りができなくなってる。
自分への甘えなのか。
過去の実績にすがるマインドか。
会社での充足した活動。
日々のほどよい疲労感と達成感に充実を見出しての。






「思考停止」





エンジニア業務からマネジメント業務に完全シフトし、プログラミングは土日の趣味レベル。
学習対象も技術書からチームマネジメントや自己啓発本に変わっていく。
Emacsも立ち上げなくなった。
つか、コマンド忘れた。
35歳定年説、35歳定年説、いかん、いかん、としながらも。






「思考停止」





僕は会社に寄り添わないと生きていけない、そんな不安感がどんと強くなる。
人徳も、営業力も、経営知識も足りない。
そして専門のエンジニア業務からもどんどん遠のいている。
担当するマネジメントに自信はあるが、まだまだ改善の余地あり。なんか+alpha足りない。
でも、十分食べていける。
家族を養い、会社貢献という欲求も満たされている。






「思考停止」





それはつまり、未来への思考が止まっていること。

会社というコミュニティーを発展させること、それが僕の存命の条件である。
と、ここで終わっている。

それでも十分だし、会社に勤めるものとして大切なことだと思う。
もっともっと追求できる点で、僕もまだまだ力不足とも感じている。

だけれど、個としての、ひとりの作り手としての未来はどうなるのだろうか。
これは会社というコミュニティーから、一度、切り離して考えたほうがいいのではないか。
居心地の良くなった環境で、僕の弱さからくる「思考停止」に陥る事なく。



「思考停止」をこじらせて、職場を離れる36歳。
これは自分への罰でもあり、僕の未来への正しい一歩でもある。



さあて、面白くなってまいりました。